ザ・ノンフィクション〈ショーケンという"孤独"〉。 |
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雑誌『SPA!』に萩原健一さんのロングインタビューが載っていた。最近の芸能界にはびこる〈覚せい剤〉に対して、「あれは貧乏人がやるクスリ」と一蹴していた。クスリそのものを批判するのではなく、種類なのかよ(笑)。だがショーケンらしいな、と思ってしまった。小栗旬さんに対しても、「俺が若い頃、彼のような感じだったら、もっと出世したはず」なとと言っていた。これは褒めているようにも、苦言を言っているようにも聞こえる。おそらく両方なのだろう。“空気を読めることが何よりも重要である”世代へのショーケンからのメッセージなのかもしれない。
フジテレビのザ・ノンフィクションで〈ショーケンという"孤独"〉という番組をやっていたので観る。スタッフとモメそうになる箇所は意図的ににカットしていたようだが、それを差し引いても昔よりはおとなしくなったという印象を受けた。
彼は監督に対して「第二稿が出る前に、脚本を見せてほしい」「今の若者に理解してもらおうと、簡単なセリフまわしにするのはどうかと思う」ということを言っていた。実に正論だ。この言い分のどこが悪いのだろう。今の制作の現場では、意見をすることはタブーなのか。私がショーケンでも同じ意見を言うに違いない。演じることに力を注げば注ぐほど、そういった話をするのは、至極自然なことではないだろうか。それを「やりにくい」ということばで片づけられたら、とても悲しいことだ。もちろん映画は監督のものだということは、じゅうぶんわかっているつもりだ。ディレクションには従いたいと思う。だが、そのディレクションと脚本の内容がそぐわなかったら、それを指摘しても構わないのではないだろうか。
与えられたミッションに対して、真摯に向き合うことが悪いことなのだろうか。むしろうまくスタッフに流されているだけの俳優が評価され、演じることにまっすぐである俳優が評価を受けづらくなるのは哀しい。現場での評判=俳優としての評価ではないはず。
確かに人間は感情で動かされやすい動物である。それを持ってしても、相手の本意がつかめなくてはダメだ。相手の意図を汲むくらいの力量はほしいと思う。
映画での現場をよそに、ショーケンは石野卓球さんと宇川直宏さんのつくった曲を上機嫌に歌っていた。それがなんとも痛快に思えた。
■ショーケンの演技はおもしろい。絵になるだけでなく、意外性があるのが魅力だ。