情報処理能力について。 |
強くありたいと思っているだけで、私も必死だ。今の時代、誰もが必死なんだと思う。ただ情勢が悪くなると人は脆いもので、持っている倫理観までも揺らぐことがある。最近は入社時に倫理観の話をする企業が多いと聞くが、それは非常によくわかる。会社の経営や自分の実績、己の立場を守るために不正を行う。とがめられても犯罪にならなければいいのだ、という短絡的な考え。犯罪にならないようにするのは、どうやって法から逃れるかという狡猾な思い。この国は民主主義だといいつつも、個人をそれほど守ってくれるわけではない。税金ひとつとってみても、一個人の税金より法人税のほうが多いものだ。自治体は、法人に加担することが多いのが現状なのかもしれない。
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私の得意分野があるとすると、それは情報処理能力なのではないかと思う。情報をわりとストックしてあるし、圧縮もしている(笑)。振り分けるのもうまいほうではないかと思う。ただ情報はいらないものも多い。いやほとんどがいらない。いらないから、ストックも少なくて済む。ここ20年のカルチャーのほとんどが、私にはいらないものだ。
ここにも書いてあるが、必要なのは〈大局観〉であり、自分の〈世界観〉である。私は10代の頃から、この二つだけを考えてきた人間なのである。たとえ私の知らない〈何か〉が流行っていたとしても、私は揺らぐことがない。〈大局観〉と〈世界観〉を長年構築してきたのだから。
ここには松本隆さんのインタビューがあるが、共感するところが多い。ビートルズのビジネスがよいと思うこと。松田聖子さんの最高傑作が〈天国のキッス〉だと言っていること。いいものは売れること。いつも真っ白であること。はっぴいえんどの延長線上に、松田聖子さんがあるということ。
松本さんも言っているが、音楽にとってマーケティングは意味がない。大切なのは、感受性の問題だと話す。これは非常に共感できる。しかも映画や本を選ばずに、触れていくことが感受性を高める上で必要なことだと言う。私はもともと音楽や映画、本が大好きだからあえて“感受性を高めよう”などと思って、それらに触れたことはない。しかしこれらが情報処理能力に一役買っているのは、確かだと思う。