孤独な女性。 |
私は、父方の祖父のことを何一つ知らない。父も私に話してくれたことはなく、父は祖父の記憶があるのかさえも知らない。ただ祖母は、祖父のことをこころから愛していたのだろう。それきり結婚はせず、父だけを子どもと認め、溺愛した。父は親一人子一人で、貧しい生活を送る中、母屋の親戚一同の力を借りて育ったようだ。
私が幼稚園に入る前のことだ。祖母はある新興宗教に傾倒し、いつもお経を唱えるようになった。そしてある日のこと、トイレに入ったまま、出てこなくなる。父が無理矢理扉を開けると、トイレに座ったまま動かない状態でいた。そこから父は引きずるように祖母を出し、病院へ連れて行った。神経分裂病(統合失調症)の破瓜型といわれる症状らしい。それは、常同姿態と呼ばれるものだろう。
祖母はその日から、檻のある精神病院の病室に入った。部屋の中には小さな和式のトイレがあり、面会に行くと尿の臭いが漂っていた。また廊下を通ると、檻の中に入った患者たちが物珍しそうな目で私を観た。就学前の出来事だが、その記憶は強烈に残っている。
祖母は初孫の私を、とてもかわいがってくれた。美佐緒、美佐緒と私を呼び、私が喜びそうなことは何でも叶えてくれた。しかしその反面、うちの母にはきつく当たった。溺愛する息子を取られたと思うのか、精神病院から届く祖母のハガキは、怨恨の思いが綴られていた。漢字も読めない私だったが、それは感じ取れた。母は「病気なんだから、仕方がないわよ」と言って、意にもかえさない様子だった。しかも面会に行くのは、ほとんど母である。「私が行っても喜ばないから、いっしょに行ってよ」と父を誘うのだが、病院に顔を出すことは少ない。父は幼少時に苦労をし、自身を悩ませる種であった祖母を疎ましく感じていたようだった。しかも父は祖母を観ていたせいか、宗教も忌み嫌った。
祖母はその後、亡くなるまで精神病院にいた。不思議なことに母方の祖母が亡くなった葬儀場で、彼女が危篤だという情報が入る。それから2〜3日後に父方の祖母は亡くなり、“これは友引だからか?”という話にもなった。私が19歳のことである。
祖母のいた病院は、私の高校のそばにあった。毎日、近くを通りながらも、幼少時に味わった恐ろしさが抜けず、高校時代に一度も見舞いに行かなかった。その後、祖母のことを思うたび、悔恨の情が湧く。