『きらい・じゃないよ2』@ポレポレ東中野 |
ちなみに『きらい・じゃないよ』のほうも観たかったが、諸事情で観られず。10代の頃、パンクに傾倒していた私は、遠藤ミチロウと戸川純のクレジットを観て、『きらい・じゃないよ2』は行こうと考えていた。それにしても、なんてツンデレなタイトルだろう。素直に「好き」と言えばいいのだが。言えたらいいのだが。
『きらい・じゃないよ2』は、92年の作品。モノクロだ。映画の中に、ジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のポスターが出てくる。彼の映画の影響からか、80年代半ば前後〜90年代初頭はモノクロ映画が日本でトレンドとなる。こうした流れからか、『闇のカーニバル』や『鉄男』なども生まれ、海外でも話題になる。その流れの一端に、『きらい・じゃないよ』や『きらい・じゃないよ2』もあったのかもしれない。この頃、成人を迎えた私は、新旧問わずモノクロ映画に傾倒した。イタリアのネオリアリズモや、フランスのヌーベルバーグ、50〜60年代の日本映画とリアルタイムの自主映画を貪るように観た。
最近はモノクロ映画を嫌う人も多いというが、私はモノクロ映画のほうが、魅力を感じる。モノクロのコントラストに演出家の意図を感じるし、また観客が自由に色づけすることもできる。その両方を楽しめるからだ。
余談はさておき。『きらい・じゃないよ2』には特段、ストーリーとおぼしきものはない。〈百年まち〉というところに男女がたどり着いたというだけで、あとはどこまでが脚本に書いてあるのか、アドリブなのかがわからない。監督・内田栄一はどこまで演出をしていたのかが、気になるところだ。また四国が舞台のせいか、うどん屋が登場する。野外のセックスのシーンでは、水車の合間からのアングルで二人を撮り、行為がはじまると水車がまわる映像だけを撮る。あのシーンは性行為を象徴していて“上手いなあ”と感心した。
それにしても内田栄一は、なぜ〈妹〉をテーマにするのだろうか。また、なぜ『妹』も『きらい・じゃないよ2』も〈ねり〉なのか。〈ねり〉という奇妙な名前になぜこだわるのか。謎は尽きない。
『きらい・じゃないよ2』の主人公を務めた伊藤猛さん、そして彼の相手役を務めた伊藤清美さん。ともに伊藤姓だ。ちなみに父方の祖父母が離婚していなければ、祖母の旧姓である工藤姓を名乗らず、父も家族も私自身も伊藤姓だったはずだ。古い戸籍を見ると、父方の祖父はその後2回結婚しており、子どもがいる。つまり父には異母妹弟がおり、どうやら現在50代のようだ。もちろんお二人とは何の関係もないと思うが、50代の伊藤さんというと、父の異母妹弟を思う。いったいどこで暮らし、どんな人なのだろうか。