惨たらしい仕打ち。 |
ところが同じクラスの女生徒に、「あなたが学級委員なんて、私は認めないから!」と強く言われた。確かに当時の私は、人前に出るタイプではない。しかし彼女がなぜ、私にそんなことを言うのか皆目わからなかった。しかしあまりに強烈だったので、私には今も忘れられず、強く印象に残っている。
この一件に限らず、彼女の発言力は強く、たいがいの女生徒は彼女の言いなりになった。みんな内心は、どう思っていたのかはわからない。私は内向的ではあったが、単に言いなりになるのは嫌いで、彼女とは徹底的に距離を置いた。当時から、どこか頑固だったのだろう。彼女とは部活動もいっしょだったが、つるむことはなく、一人になっても決して彼女の機嫌をとることはなかった。
彼女は、年配の両親をもった末っ子。私は、20代の両親から生まれた長子。生活環境も家族構成もまるで違った。接点も少なかったのだろう。年長の兄弟からの影響がある彼女に比べると、弟たちしかいない私は物事の経験値も乏しかった。
その後、私は彼女とは違う高校へ進学した。彼女は私の父が卒業した高校へ進んだのだ。ときどき自転車やバスで、彼女の姿を見かけることはあったが、接点はほぼなくなった。
ある日、父のもとに高校の卒業者名簿が届いた。父と同じ高校に進学した友人も多いため、その後友人たちはどんな人生を送っているんだろうと、それをめくった。驚いたことに、彼女の名前が物故者の中にあった。当時、まだ彼女も私も20代だったと思う。信じられなかった。
その後、風の噂で彼女がどうして亡くなったかを知った。脳腫瘍におかされ、相貌も変わったと聞いた。20代の女性に対して、何とも惨たらしい仕打ちである。それを聞いた時に、ぞっとした。