大局観。 |
今日のテーマは“SEXのときに灯りをつけるか?”だった。アメリカもフランスもイギリスも…先進国の70〜80%の人間は、灯りをつけるにYES(!)と答えた。どうやら世界的に見ると、SEXのときは灯りがあって当たり前らしい。ところが日本人は12%程度にとどまる。圧倒的な少数派!この数値に近いのはパキスタンくらいらしい。あの国はイスラムなので、女性が裸体でいること自体が禁じられているのだが、そのパキスタンと日本が近いとは。
思えば日本という国は、いろんな意味でミョーだ。
ちなみに、世界で最もSEXが盛んな国(ははは)は、ギリシャだった。うーん…納得。ギリシャの音楽の濃厚さから考えると、ごもっとも!と感じる。
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私は情報を集めることが好きだ。その行為自体も楽しいと感じる。けれど、やみくもに情報を集めようとは思わない。大半の情報は私にとって〈道具〉や〈材料〉である。むしろ私が情報に求めているのは、時代に沿った大局観である。大局観を得るために情報を得、自分の立ち位置を客観視する。客観視しながら、検証をしていると言ってもいいだろう。
大局観がつかめてくると、おのずといらない情報も見えてくる。いらないものは捨てても全く困らない。だからこそ〈大局観〉なのだ。〈大局観〉をもった人間というと、やはりWAVEのときの先輩や同僚を思い浮かべてしまう。彼らは間違いなく、〈大局観〉をもっていた。だから情報処理能力が非常に高い。重要な情報はきちんと整理できるし、いらない情報は上手に捨て去る。
大局観の〈大局〉ということばは、周知のとおり将棋や囲碁の世界のことばである。ゲームがあまり好きでない私も、大局観をつかむのはおもしろいと感じるので、年齢を重ねると将棋や囲碁にはまってしまうかもしれない。