自分から歩み寄る。 |
彼女は一週間だけ東京に滞在し、2カ月間中国でリハビリを続け、9月から再び東京で仕事をする予定のようだ。彼女の話を聞きながら、東京と仕事が好きな彼女らしい選択だと思った。
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母から生鮮食品が届く。野菜や魚、卵が新鮮で大ぶりで、本当に驚いた。九州の人はこんな生鮮食品を毎日食べているのだろうか、などと思う。帰省したときにも、その都度驚いてしまうのだが、少なくとも私はこういった生鮮食品を東京では買っていない。かつて私自身、これらを食べていたという現実にも、やはり驚かされてしまう。
外にはほとんど出ていないが、食生活は比較的充実していると思う。栄養のコントロールをしなければ、骨を生成することができない。偏ることなく、献立を考えながら毎日を暮らしている。
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現在、私はほとんど仕事をしていない。正直な話、仕事に身が入る状態ではないからだ。入院した頃は、言語のひとつでもマスターしようか、本をたくさん読破しようか、などと思っていた。しかし骨を折ると可動域が狭くなる、という現実が叩き付けられてしまった。人間のカラダは骨を守ろうとして、軟部組織が硬直してしまう。放置しておくと、この可動域になってしまうかもしれないのだ。そう考えるととても恐ろしく思えた。
今の私には足のことだけを考え、病院と自宅でリハビリをしているほうが、はるかにこころ休まるのだ。なかには親切心で「もっと別のことを考えたら?」「違うことでもやってみたら?」などと話してくれた人もいたが、それは一時的に自分の気持ちを紛らわす手段でしかない。現実は、負傷したこの足で生活をすること。ならば足のことだけを考え、リハビリを続けるほうがはるかに私にとっては建設的だ。
中国の女の子も気を紛らわそうと、一時は病院のデイルームに必ず本を抱えて現れていた。ある日彼女は「本を持っていても読めない。頭に入らないの。」ともらした。私はすかさず「本なんて読まなくていいよ。読めないのが、正直な気持ちなんでしょ?今はケガのことだけを考えていいんだよ。」というと、彼女は泣き出してしまった。
現実に向き合って考えることは厳しい。時に恐怖心に駆られることもある。しかし現実が変わらないのであれば、自分からそこに歩み寄るしかない。私はそう思う。