感覚器官〜耳コピーについて。 |
私は音楽が好きせいか、聴覚は敏感でいたいと思う。実は私、かなりの難聴で人の話を聞き返すことも多い。しかし聴こえていれば、演奏のクセや音の強弱で演奏者を聞き分けることもできる。だからこそ、私は演奏者によってアルバムを選ぶ。これは音楽が好きな人の楽しみのひとつだと思うし、聴覚を鋭敏にするチャンスでもある。
聴覚に限らず、ほかの感覚器官ももっと使うべきだと思っている。中学2年生のときにはじめてつきあった彼との会話はほとんど覚えていないけれど、彼の使っていたシャンプーの香りは未だに覚えている。嗅覚の記憶というのは、意外と強いようだ。また、汗の匂いで相性がわかるという話を聞いたことがあるが、それもまんざら嘘ではない気がする。匂いで好き/嫌いを直感的に判断する。こういったことも、人間のもっている潜在能力のひとつではないだろうか。
感覚器官ではないが、いわゆる〈勘〉も人間がもっている能力のひとつだと思っている。だから私は迷ったときには〈勘〉に頼ることも多い。もちろん経験値からくる〈勘〉もあるけれど、なんとなくこの部屋はイヤだという直感のようなものを私はとても大事にしたいと思っている。これも人間の潜在能力のひとつではないかと思えてならない。
筋力トレーニングをすれば筋力がつくように、感覚も伸ばすように努めたらある程度伸ばすことができるはずではないだろうか。五感や勘も伸びるように働きかけるのが好きで、ときどき発案したトレーニングをこっそりひとりでやっている(笑)。おそらく人一倍感覚を使うことが好きだから、こういうことをやってしまうんだろうな…。
原始人は現代人よりきっと鋭敏だっただろうと思う。インターネットがなくても、勘や知覚で危険を防御していたに違いない。その能力が、私にはとてもうらやましく映る。
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聴覚で思い出すのが、耳コピーというもの。ミュージシャンのなかには楽譜が読めない人も多いようだ。楽譜に関しては読めたほうがいいけれども、読めなくても別段構わないと思う。そのかわりに耳コピーはできなければならない。耳コピーとは、いわば聴きながら演奏をマスターすることである。黒人ミュージシャンは、耳コピーの天才が多い。たぐいまれな感覚をもち、実践で生きる能力を高めていける、黒人たちは本当に素晴らしいと思う。
ところで先日、為末さんの〈Samurai breakin'〉が発売されたが、これを聴きながらトレーニング重ねると、脚も速くならないだろうか。耳コピーの理論から考えると、走る能力がある人間はこの足音に合わせて走れば、自分の脚のペースもあげていける気がする。それが耳コピーの実践だと思うから…。中高校生の陸上選手は、〈Samurai breakin'〉を聴くと、為末大さんのようになれるかもしれない。