〈あなた〉を忍ばせること。 |
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阿久悠さんの送る会の映像を観る。遺影がとてもダンディで素敵だ。
彼は作詞家という肩書きだが、音楽プロデューサーであった。この歌手をどういうかたちで売り込もうかと考え、詞のなかにそれをしっかりと忍ばせた。誰でもそうだが、ものづくりをするとその人自身が否応なく表れてしまう。彼の場合は当時の時代性や彼の人生観が、顕著に表れていると思う。それが多くの日本人のこころを打ち、30年経った今でも輝き続けている。もちろん、聴き手だけではない。彼の作品を歌った歌手には大ヒットをもたらすこともできた。彼が作詞をすることによって、多くの人を幸せに導いている。徳の高い人だと思う。
彼は作品を手がけた歌手とは、個人的におつきあいをすることを避けていたのだという。歌手のキャラクターを知ると、そのイメージで作品を書いてしまうからだ。プロとして仕事を行うために、フラットなつきあいを続ける。こういうプロ意識もあるんだな、と驚いてしまった。つきあいは淡白だったかもしれないが、各々の歌手には素晴らしい作品を差し上げている。プロの仕事とは本来このようなものなのかもしれない。
生前、彼はこう話していた。僕の詩は〈あなた〉ということばが多い、と。確かに今の歌は〈わたし〉が多く、自分のことを語ったものが多い。シンガーソングライターなら、書き手本人のことばととれることが人気の秘密なのかもしれないが、あくまでも一方通行でしかない。これも今の時代を反映しているのかもしれないな、と思う。阿久悠さんの詩は〈あなた〉を忍ばせることによって、聴き手が第三者になりうる。思いやりやつながりをそことなく含ませ、感じることができるのだ。だから彼の作品は日本人のこころにやさしく、深く響くのかもしれない。
ことばを深く響かせるのは、難しい。とってつけたような美辞麗句や、使い慣れていないことばを使ってみても、浮いてしまうだけだ。私自身もこういう失敗を何度もしてきた。使うなら馴染ませるだけの力量のほうが、はるかに必要なのだ。それはつまり生き方や考え方なのだと思う。日々どう過ごすか、というところなのだろう。