音楽よりも音の響き。 |
最近は70年代の映像を観るたびに、失った人の大きさとその多さを知る。私は出演している方もさることながら、スタッフの名前もチェックを入れてしまう。そしてテロップを見ながら“この方は今健在なのだろうか”などと思い、気になって仕方がない。出演者より裏方のスタッフのほうが年長者が多いだろうから、想像以上に亡くなっている方も多いに違いない。当たり前なのだが、当時と全く同じスタッフで映像をつくることなどできないわけだ。物事をつくるということは、一期一会。貴重なことなんだと改めて感じ入る。
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今月のサンレコを読む。細野晴臣さんのインタビューの記事の見出しに、こう書いてあった。
「僕は音楽よりも音の響きにこだわっている。実は音楽はなんでもいいんです」
…ああ、細野さんもそうだったのか。私はここでもさんざんリバーブや録音の空気感、質感について語ってきた。彼もきっと同じことを感じているだろうと思っていながらも、改めてこうして文字になったものを読むとなんだかとてもうれしい。彼は私が幼少の時代から、ボーダレスで音楽を聴いてきた方だ。ジャンルなんてなんでもいいに決まっている。今まで彼の音はたくさん耳にしていたけれど、このことばを聴かずともそれが作品に十分表れていた。だから彼の音は、いつだってかっこいい。私が言うのもおこがましいけれど、どんな音楽を創ったところでツボを心得ていた。
また彼はこのインタビューのなかで、1940年代と50年代の録音の方法を知らなかったと書いている。知っているのは60年代のマルチトラックの創り方で、それ以降の音の創り方には飽き飽きしている、と。60年代以前の音は当然モノラルだけれど、3Dの感覚があると彼は加えている。我が家にはSP盤があるので60年代以前の音も聴けるが、それをしっかりとしたモニターを通してそれを聴いたことがない。しっかりとしたモニターで聴けば、それを実感できるのかもしれない。
確か細野さんのレーベルからデビューした蓮実重臣さんも、この時代の音楽にとても興味を抱いていたような気がする。その昔、高円寺のマニュエラに行ったときに彼と私とマニュエラのスタッフで、下のカフェで食事をしたときにそのような話を延々とした。蓮実さんは父が蓮實重彦さんというだけあってすごいインテリである。20代の若さで40年代の音に着眼するなんて、今じゃとても考えられないことだろう。それをアルバム『ミヤシロ』で表現していたが、あのアルバムも本当に驚かされることばかりだった。
…蓮実さんの話はさておき、細野さんは私にとって本当に偉大な人だ。いや私だけではなく、日本のそして世界の音楽界に欠かせないひとり。それはこちらのyou tubeを観ると、よくわかるだろう。
■Human Audio Sponge(1)
■Human Audio Sponge(2)
■HASYMO interview
YMOが登場したときには、驚くどころか得体がしれない人たちというイメージがあった。先を行き過ぎていて、よくわからなかったのだと思う。今になって坂本さんは理論派のインテリ、細野さんは感覚派の哲学者、幸宏さんは感傷派の洒落者というスタンスにあったと思われるが、当時はビジュアルも音も発想も進みすぎていて掴めなかった。彼らのつくったものを今見ても、ちっとも古くはならない。奇才そのものだ。