70年代の華麗な引退。 |
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北京オリンピックまであと11カ月!(大阪ノリ?)とニュースでやっていた。現地は大気汚染で大変らしい。なんと日本の基準値の1.5倍(!)を指し示すほど、北京は大気が汚れているようだ。しかも真夏の北京の食事…かなり怖い(笑)。大阪の食中毒騒ぎどころじゃない気がする。もちろん選手や関係者は十分に配慮するだろうが、お茶ひとつもできない環境だとゆっくりもできないのでは。
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陸上では朝原さんが、現役生活をそろそろ退くのではないかと言われている。為末さんも北京を最後に、世界大会への出場は辞するつもりだとおっしゃっている。彼らにはできるだけいいかたちで、引退してほしいと願う。
引退といえば、70年代は二人のスーパースターが引退している。当時の日本人なら誰もが知っているその二人は、引き際もドラマティックで後世に語り継がれるものだった。
ひとりは長嶋茂雄さん。私は彼の現役生活を全く知らない世代だが、この映像は何度も目にしている。「我が巨人軍は、永久に不滅です」
もうひとりは山口百恵さん。武道館の引退コンサートでマイクを置くシーンは、彼女を知らない世代でも観たことがあるのではないだろうか。このシーンは彼女のアドリブだったらしいが、プロデューサー手腕を持つ彼女らしい計らいだと思う。
日本人はこの二人に熱狂した。とことん酔わされた。ゲーノー人嫌いの私も、山口百恵さんについては小学生ながら溺れるといえるほどだったかもしれない。こちらの番組ではアナウンサーの徳光さんが「彼女の場合は人間性…内面から輝きを増してきた」と語っているが、まさにその通りだったといえる。歌手としてデビューする前の彼女の哀しい生い立ちが10代の少女の感性を揺らし、表現力を羽ばたかせた。年を追うごとに説得力を増し、度胸も備わってきた彼女に日本人はみな魅了されてしまったのだ。
■日本人に今伝えたい!「泣かせる引退」山口百恵(1)
■日本人に今伝えたい!「泣かせる引退」山口百恵(2)
〈横須賀ストーリー〉を歌っていたときには、わずか17歳だった。彼女の沈んだ瞳に、男女の情念が浮かぶ。いったい彼女は何を思って歌っていたのだろう。また歌い終わったときの所作に、〈ひと夏の経験〉のセーラー服を着た少女は見当たらない。この落ち着きはいったい何なのか…。このあたりから、彼女の一挙一動に何かを読み取ろうとしていたに違いない。そうして日本人はみな、彼女に翻弄されていってしまう。
ところが彼女はスーパースターでありながら、テレビには多く出ることはなかった。当時のことを、ホリプロの会長である堀威夫氏がこのように語っていた。「人気がうなぎ昇りのときには、いかに仕事をセーブするかが大切」と。人気があるから、あえて出さなかったわけである。今のアイドルに比べるとリリースするものがはるかに多く、人気も今のアイドルに比類するものはいない。彼女自身は多忙を極めていたと思うが、テレビに出る回数は少なかったのである。日本人はみな彼女を観たいと思っていたにも関わらず、ファンは常に彼女を観ることに枯渇していた状態にあった。おそらく彼女が出演する番組は、驚異的に視聴率がよかったものと思われる。日本人はホリプロの堀威夫氏の戦略に、見事ハマってしまっていたのだ…。
堀威夫氏曰く「山口百恵に芸能界への復帰を求めるなんて、彼女の生き方に対する冒涜以外の何ものでもない」と。引退を決めたのは、わずか20歳の一人の女性。その判断は極めて正しかったと、70年代を生きた日本人は知るのである。