過去を診る。 |
remixにcalmさんが「今の子どもは、根性がない。すぐに諦める」と言ったと書いていたが、それはなんとなく想像ができる。そもそも親が甘いからなあ。よく「私たちは友だちのような親子ですから」などという親がいるが、信じ難い。親子が友だちになったら、家庭は崩壊の一途をたどるしかないように思う。
思えば先生も、叩かなくなったよなあ。私は親にも先生にも手を上げられてきたが、なぜ当時は問題にならなかったのだろう(笑)。だいたい部活動で叩かれて青あざつくるのは、当たり前とされていた。親も先生から叩かれている私を見て、なんとも言わなかったし、問題にする親もいなかった。もちろん先生と考え方が異なることもあったけれど、最低限の倫理観は守られるという暗黙の信頼があったように思う。今の教育現場に比べるとはるかに伸びやかだったし、先生たちも自信をもって指導していた気がする。
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私は昔のことにとても興味がある人間だ。物心ついてからの日本は同時代に生きているから、見当がつく。見当がつかないものがおもしろいのだ。しかも突然変異で今の時代があるわけでなく、脈々と流れてきたものがあるからこそ、今がある。そこを見ていかなければ、今が読めるはずがないと思ってしまう。
たとえばブランディングや企画、制作を行うときに、今ある状態だけでなく、必ずかつてあった状態/情報を紐解くようにしている。見えづらいもの、落ちた情報のなかに、キラリと光るものが落ちていることが多いのだ。そこを見つけたとき、まるで宝を掘り当てたかのような気持ちになる。過去は決してないがしろにはできない。物事はないがしろにできるほど単純ではないし、短絡的でいられるほどラクなものでもない。
墓参りに行く、という行為を大切にするというのは、こういったことにも通じるように思う。ご先祖様がいるからこそ私がおり、未来へとつながっていく。そこにある偶然や必然に、感謝したい。過去を大切にする気持ちと、ご先祖様を大切にする気持ちに何ら違いはない。おまけにそこに、私は仕事の手はずと同じものを見いだしてしまった。ないがしろにできるはずがない。今をつくるには、過去がどうしても必要だ。
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尊さんのサイトに、中国の百代レーベルのことが書いてあった。どうやら李香蘭のアルバムが発売されたらしい。欲しいな。近々、買いに行こう。
今年の夏に放送された李香蘭のドラマを、尊さんは見なかったらしい。気持ちはよくわかる(笑)。私もこのキャスティングはどうなの?と思っていたが、どうしても気になってしまいちらりとだけ観た。居たたまれなくなってすぐにテレビを消したけれど(笑)、あの李香蘭を演じるっていうのは今の日本の女優さんだと難しいのだろう。壮絶な体験をしてはじめて、演者として説得力を増すような気がしてならない。たとえば、三国連太郎さんや松田優作さんらは、自らの半生も強烈である。
思えば昔のドラマは、社会派のドラマも多かった。単に恋愛やビジネスだけではなく、戦争や災害など多面的な要素をもって展開していくから、年配の方が観てもおもしろかったのだろう。俳優陣も強い個性をもっていたからなあ。
そういえば先日、俳優の高橋昌也さんのことを検索していたら、彼のブログのようなものに出会った。70年代以来、彼の姿を観ることもあまりなくなってしまったせいか、久々にお姿を拝見してびっくりしてしまった。こちらが40代くらいのイメージを持ったまま、時間だけが過ぎてしまったからだろう。ここ最近は更新が滞っているようなので心配だが、お元気なのだろうか。