井上鑑さんのデビュー曲。 |
彼女は長身で、短距離も県で1〜2位という成績の持ち主。日本の陸上界のために遺伝子を残せ!と言っているのだが(笑)、独身の自由さや気楽さを満喫しているようだ。気持ちはわかるだけに、返すことばがない。
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寺尾聡さんの作品で知られる、井上鑑さんのアレンジが大好きだ。この方が手がけた80年代前半の仕事はどれも好きで、たいへんおもしろいと感じている。井上鑑さんのアルバムに関しては、実はうちのすぐ下の弟が当時から愛聴していたのだが、彼はおそらく寺尾聡さんから入ったのだと思う。そうだとすれば私より早く、アレンジャー/プロデューサー聴きをしていた(笑)ことになる。彼は井上鑑さんのみならず、稲垣潤一さんや安部恭弘さんも聴いていた。当時でいう〈ニューウェーブ4人衆〉を愛聴していたのであろう。
井上鑑さんの仕事は、あの大瀧詠一さんも高く評価しているようで、大瀧さんは彼をよく起用した。井上さんも彼を師匠と呼び、彼の要望に応えるうちに才能を開花させたのではないかと思う。こちらを読んで知ったのだが、寺尾聡さんと仕事をしたとき28歳だった(!)らしい。若くして非常にユニークでデカイ仕事をしていたんだなあ、と思う。
寺尾聡さんの一連のヒット曲は〈ルビーの指輪〉を除くと、メロディーは比較的単調である。ただ〈ルビーの指輪〉はサビへ行くほどピッチが下がっていくので、非常にエキセントリックだ。しかもなんとなく曲がハネている。当時寺尾さんのつくった曲を聴いた人は、こんな曲は売れないと言ったそうだが、やってみろと唯一賛成したのが石原裕次郎さんだったと聞く。石原さんもやはり見る目があった人だったんだなあ。
寺尾聡さんはもともとサヴェージというGSグループに所属していた方でベーシストだったから、おそらく黒っぽくハネている曲が好みだったのだろう。だからこういう曲をすらすらっと書いたに違いない。余談だがGSの頃の寺尾聡さんのベースを譲り受けたのは、細野晴臣さん(!)だったらしい(今月のサンレコ参照)。そのベースは才能のある人からある人へと渡ってきたわけだから、幸せモノだなあと思う。
メロディーが比較的単調、ハネているというのは、アレンジャーのモチベーションを上げたに違いない。いずれにしろ、素晴らしい仕事だ。寺尾さんの仕事で成功を手にした井上さんはソロを出すのだが、先頃それが再発されたようだ。そのなかの1曲がyoutubeに上がっていたので、ご紹介したいと思う。
この曲〈GRAVITATIONS〉は、「I should,Be late,Too see」と聴こえるけれど、実は「哀愁、美麗、陶酔…」となり実は日本語の歌詞だというトリックがある。日本語のHip Hopのようなかたちで、井上さんは歌詞を書いていたのだ。これには当時、非常に驚かされた。この曲は81年の作品だから、Hip Hopの存在さえそれほど知られていない頃だ。彼は先駆けでやっていたことになる。
youtubeを観て〈GRAVITATIONS〉を収録したアルバム『予言者の夢』を、久々に聴きたくなった。近々、CD店にでも足を運ぼう。