年寄りも含めて観るからこそ、紅白歌合戦。 |
私の好きな70年代は、紅白歌合戦の視聴率は70%を越えていた。日本国じゅうの人がみんな楽しみにしていたんだと思う。当時、私は子どもだったから演歌には全く興味がなかったけれど、おじいちゃんやおばあちゃんが楽しむ時間だと思って、演歌も観ていた。それが家族というものだし、歌謡曲や紅白歌合戦のよさだ。それがわからない人に、伝統ある歌謡曲や紅白歌合戦のことを語ってほしくない。
阿久悠さんは著書『ラヂオ』(NHK出版)のなかでこう語っている。
「自分のことを知りたいと思ったら、一度自分から離れなさい。自分を忘れなさい。そして社会など大それたことを言わずに、自分以外の人間のことを考えなさい。すると結果社会の役に立ち、自分の存在もわかります」と。
彼は歌い手のことを、一人一人思い浮かべながら曲を書いてきた方だ。年齢や雰囲気を活かし、ひとつひとつ似合うことばをこと細かに選びながら、人を幸せにしてきた。自ら実践してきたせいか、ことばに重みがある。
なぜ自分中心に物事を考える人が、これほど増えてしまったのだろう。20年30年という年月はあっという間だ。老人を疎んでいるうちに、すぐに自分も老人になる。気持ちを読めない人間のことだ。自分が疎んじたように、若い世代から疎んじられるのが関の山だろう。
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テレビ東京、MXテレビは相変わらずおもしろい。今日はテレビ東京の『カンブリア宮殿』の再放送を観た。吉野家ホールディングスの安部社長が登場。彼は高校卒業後、吉野家にアルバイトとして入り、社長にまで登り詰めたという凄腕の持ち主である。彼は80年代、吉野家が事実上倒産した頃にもこの会社に勤務していた。当時、吉野家は相次ぐ出店で資金繰りがうまくいかなくなり、ひいては牛丼のたれを生だれでなく粉末のものに替えなくてはならなくなった。それを機に客足が遠のき、120億の負債を抱えてしまうことになるのだ。
その後、彼は30代で吉野家の部長となり、店の立て直しを図る。まずは味を高めることに心血を注ぎ、徹底的な社員教育に取り組んでいった。すると徐々に景気は回復するようになり、負債は見事返済。資金繰りも以前に増して好調になるのだった。そして安部氏は社長に就任。ところが例のBSE問題で、吉野家はアメリカ産牛肉が手に入らなくなってしまう。他の競合店はなんとか商売をしていこうと豪産や欧州産の牛肉を使ったが、安部氏は他店のようにアメリカ産以外の牛肉を決して使おうとはしなかった。もちろん内部からの反対の声もあったようだが、頑として彼は貫いたのだ。
それには安部氏の思惑があった。アメリカ産以外の牛肉を使うと、たれの細かい調味もすべて変えてしまわなくてはならない。それではもはや、吉野家の牛丼ではない、と。あくまでもアメリカ産にこだわることが吉野家の牛丼のブランディングであり、今までのブランディングがしっかりしていたからこそ、吉野家の牛丼ファンはここまでついてきたのだ。きっと80年代の失敗も脳裏に浮かんだのだろう。彼はあくまでもアメリカ産にこだわり続けた。
やがてアメリカ産牛肉の輸入禁止が解かれ、吉野屋は通常営業に踏み切れることになった。長かった苦悩の時期から解放されるようになる。安部氏曰く「迷ったときには、3年後5年後の長期サイクルでモノを見なさい」と。人は危機迫ると、どうしても短期的なターンでモノを考えてしまう。“当面の資金が大切だ”“今がよければ、あとはなんとかなる”という考え方に陥りがちであるが、それが命取りになることも多々ある。崩してはいけないものはいったい何なのかを見極め、長期的に考えていけば被害は最小限に留めることができる。
商売で大切なのは、なんといってもブランディングだ。それをいかに徹底するかによって客の態度が変わり、未来が決まるに違いない。