こころの内を語る、日本の童謡。 |
私自身、医者というのはそういうものだと思っていた。だからほとんど医者というものを信じてはおらず、大病にかかったらそれは天命なのだと思うようにしようと考えていた。奇しくも昨年私は事故に遭い、ERに運びこまれ救急救命室の姿を見ることになり、考え方も変わるのだが…。
番組中、救急隊員がこう語っていた。救急車が現場についたところで搬送先が決まらず、やっと決まったときには30分も経過しており、病院に着いた時点で亡くなるのだ、と。私が事故に遭ったときには10分程度で病院が決まったのだが、それでも長いなあと感じたものである。心拍停止状態にある患者であれば、30分なんて待ちきれるはずがない。
京都の医療部長さんは〈救急患者をいかに上手に断るか〉に疑問を持ち、一時は仕事について悩んでいたのだという。もともと人命を救うのが医師の仕事ではないか、という意志を持ち続け、ERを立ち上げたいと考えたようだ。日本にもこういった医師がいるんだなあ。彼らを見ていると、日本人も決して廃れてはいないんだと思えてしまう。
それにしてもERがあるのは、主要都市だけだというのはおかしい。県にひとつはERをつくるべきなのではないだろうか。
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youtubeに上がっている『ムー一族』(78年)の放送を観る。久世さん、遊びすぎ(笑)。出演者が生ライブに合わせて踊っているし(笑)。こういった実験的なことを、大人がおもしろがってやっているところがイイし、それを許す当時のTBSの上層部も素晴らしかった。
※おそらくMA室の一番右に座っているのが、若き日の久世さんなのだろう。
久世さんのことを知ったのは、私の場合『時間ですよ!』でもなく、『ムー一族』でもなかった。もちろんそれらのドラマをやっているのは知っていたが、小学生だったので観ていなかったし、ましてやプロデューサーなど知る由もなかった。私が久世光彦さんのことを知るのは、『花嫁人形は眠らない』(86年)からである。このドラマは田中裕子さん主演で、小泉今日子さんが準主役だった。二人は姉妹でおじいちゃん役が、今は亡き笠智衆さんである。ほかにも加藤治子さん、池部良さんなどが出演していた。この延長上に向田邦子スペシャルがあったのではないかと思えるほど、豪華な布陣だったと思う。
キョンキョンは夢遊病で、夜中にふらふら起き出す少女。幼さが残る一方で、おじいちゃんの悩みを公園で聞いているおちゃめな女の子だった。田中裕子さんとの姉妹役も息が合い、二人で檜風呂に入りながら童謡の〈月の砂漠〉を歌うのがとても素敵に感じられ、それまで特に意識することのなかった小泉今日子さんがグンと魅力的に思えるようになった。おそらく久世さんが小泉さんを高くかっていたのではないだろうか。当時の二人のインタビューを読むとさりげない会話のなかにも哲学が光り、素晴らしい現場だったんだなあと思わせる。
久世さんは古き良き日本を、とても愛していた。『花嫁人形は眠らない』には童謡が頻繁に出てきていたのだが、日々の悩みや悲しみをことばや表情で表すのではなく、ただ日本家屋の五右衛門風呂で童謡を歌うことで、さまざまな感情を表現していた。それがなんとも日本人らしく、こころを打つものがあったのである。
残念ながら『ムー』も『ムー一族』も、『花嫁人形は眠らない』もDVD化されていない。久世さんの作品は案外、DVD化されていないものが多いのである。こちらにも、DVD化を望む声がたくさん寄せられているようだ。私もリリースされたら購入したいと思っているひとり。商品化を切に願う。