生きている歓びを味わうとき。 |
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昨日、『徹子の部屋』を観た。リリー・フランキーさんが登場していたからだ。リリーさんは酸いも甘いも知った、イイ男だと思う。モテそう。
彼は大分緑丘高校出身と聞いたことがある。当時から、絵に興味をもっていたのだろうか。そんなことはいいとして、番組のなかで久世光彦さんの話が出てきた。どうやら彼は久世さんを尊敬してやまなかったらしい。ベストセラー『東京タワー』も久世さん演出で話が進んでいたと聞いていたので、これが実現していたらどんなに素晴らしいことだったか…。全くもって残念で仕方がない。
久世光彦さん×向田邦子さんのドラマでは、黒柳さんがナレーターとしていつも登場する。あの二人のドラマのなかでは彼女はレギュラーなのだ。彼女もリリー・フランキーさんとともに久世さんのことを、惜しんでいた。なんとも切ない時間が流れる。
you tubeを検索してみると、リリーさんのおもしろい対談が出てきた。こちらを観ると、対談相手の茂木健一郎さんがリリーさん出身の北九州を大絶賛。「大らかで生命力がある」「邪気がない」などと言い放つ。確かに北九州や大分で暮らしていると、東京は確かに別世界だ。
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茂木さんも言っているが、今欠けているのは〈生命哲学〉だと思う。先日お会いしたAさんと話をしたときに、学校で教えていない学問は何か?と訊かれたときに私は「生命について」と答えたのだが、生命のことについては義務教育で教えられていないと思う。私は田舎育ちだから、植物や動物の生命について暮らしの中で習得してきたところがある。おばあちゃんの家に行けば数百羽のニワトリがいたり、通学路にはビワの実やグミの実があり、それらをかじりながら帰宅していた。時間が経つとごくあたりまえのように、それらが亡くなったり、朽ちていったりする。そのなかで生命を感じていたのだと思う。
都会にいると、生命を感じることは少ない。自然を感じることもまれだし、ましてや人間は動植物のように早いスピードで朽ちていくことはない。生きていて当たり前かのように感じてしまうのだろう。動植物に与える災害の影響や、それらが朽ちていく様を目にしていくうちに、それらの育て方やつきあい方を覚える。それが生命に触れることだと思う。
不思議なもので動植物が元気だと、そこで暮らしている人間も元気になれる。あの動植物のみなぎる様に触れたとき、人は生きている歓びを味わうのではないだろうか。