解体の必要性。 |
彼のマンガに登場するキャラクターを見ていると、どんな人間でも受け入れてくれるような懐の大きさを感じ取ることができる。人々に自信を与えていたのかもしれない。実際、レレレのおじさんのような人は、昭和の初期にはいたのだろう。久世光彦さんの小説にも頭の弱いキャラクターがわりに登場するが、当時の世相を反映したものではないかと踏んでいる。
しかしバカボンのパパのような〈ねじりはちまき〉に〈腹巻き〉〈ステテコ〉のおやじは、全く見られなくなった。いささか淋しい。
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i-Googleによると、こういう曲が売り出されているみたいだ。うーん。大野克夫さんの名曲をつまらないものにすることだけは、避けてほしい。そうでなくても先輩たちの曲で相撲をとることの多い、日本の音楽業界なのだから。
新譜でエキサイティングなものを聴きたい。それは誰しもが思っていることだろうけれど、音楽業界は才能もエネルギーもお金も不足しているようだ。お金がなくてもなんとかなるかもしれないが、システムがそれを許さないのかもしれない。一度解体すればいいのにと思うのだが、それは問屋が許さないのか。
このままでいくと、音楽に興味をもつ人が減っていく一方だと思う。少なくとも若い世代の音楽好きは育たない。新譜でエキサイティングじゃなければ、彼らを振り向かせることはできないと思う。ただおもしろかったり、質の高いものであれば、70年代の歌謡曲のように世代を超えて人気を集めることができるだろう。それが音楽というものだと思う。