非破壊編集
2017-09-05T22:04:04+09:00
k330910
音楽機材、音楽制作やクラブ情報など
Excite Blog
蚊帳の外
http://k330910.exblog.jp/28123727/
2017-09-05T22:03:00+09:00
2017-09-05T22:04:04+09:00
2017-09-05T22:03:02+09:00
k330910
LIFE STYLE
映画『非行少年 若者の砦』(70年)
http://k330910.exblog.jp/28115930/
2017-09-02T20:27:00+09:00
2017-09-02T22:10:32+09:00
2017-09-02T20:27:08+09:00
k330910
映画/テレビ
『非行少年 若者の砦』は、ある少年が職員室を開け、一人の教師の手の甲にナイフを刺すところからはじまる。真紅の血が溢れる中、題字が現れる。少年はこの一件だけではなく、この少年は酌量の余地のない、悪行・怪行ばかりを起こし続ける。それで手に余った母が、前科者の家庭教師を雇うのだ。
この家庭教師は、あろうことか彼の行動を一切否定しない。前科者でもあるし、説教をするのはお門違いだと思っているのかもしれない。二人の間柄は馴れ合うこともないが、ぶつかることもない。どこか通じ合っているのだと、そこはかとなく感じさせるだけにとどまる。盗み撮りをする男が市議会議員で、彼を墓に縛りつけたり。また盗み撮りをしたことを、権力を持って葬り去ろうとすることが許せず、暴力を振るったり。あるいは母の出生を侮辱したことが、許せなかったり。この少年は、世の不正を血祭りに上げている一面もあるせいか、次第に観客まで、この少年が可愛く見えてしまうのだ。パキさんはこの少年に、さまざまな怒りを託したかったのだろう。
ある日、少年の母が交通事故で亡くなる。彼は泣こうともせず、パッと騒ごうと少年は言う。白壁の病院の屋上で。たくさんの白いシーツが揺れる中、前科者の家庭教師は、実家の手伝いの姿で現れる。白い作業服だ。死を表す鯨幕の「黒」や喪服の「黒」は、一切現れない。「黒」といえば「白」と言いそうな彼らの反逆的な姿勢も、色彩から感じられる。また世の不正が許せない彼らは、実はピュアだと暗に伝えているのかもしれない。
結局、この少年は警察に捕まってしまう。家庭教師を同志と思っているのか、この少年は腹の内を彼だけに見せる。ところが家庭教師は「お前は親もなく、助けてくれる人はない。ここを出れば社会も冷たい」という厳しい現実を伝える。それは、家庭教師からのささやかな愛情にも感じられる。そして家庭教師が警察署から外に出ると、ラジオからよど号ハイジャック事件のニュースが流れてくる。これがこの映画のエピローグだ。
聞くところによると、よど号事件が1970年3月31日に起き、この映画の公開は70年4月4日という話だ。中3日しか空いていない。初号試写の直前、最後のダビングで無理矢理突っ込んだ音だというウワサも。そこにも、私は深く打たれてしまった。
本作に限らず、パキさんの映画はエピローグが素敵だ。これは60~70年代のアメリカ映画の影響だろうか。映画『スローなブギにしてくれ』も若い男とヨリを戻し、めでたしめでたしと思いきや、次のシーンで別の中年男と自殺を図るという結末で終わる。その唐突さも、強烈な若さの姿に思える。ここ最近の映画のエピローグは全く覚えていないが、パキさんの映画はどれもエピローグに強烈な印象を残す。
映画は、やはりエピローグだ。エピローグがつまらない映画に、傑作はないと個人的に思っている。
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■ここ最近のポートフォリオ
http://k330910.exblog.jp/23640216/
2016-12-31T12:07:00+09:00
2017-07-11T16:49:12+09:00
2015-02-06T12:16:04+09:00
k330910
未分類
ほかにも、医療法人や社会福祉法人、公益法人の冊子や宣伝物などの実績もあります。
《2012年》
『PHP ほんとうの時代LIFE+』(PHP研究所)*半年間の連載
『介護のほんとうがわかる本』(主婦と生活社)
『老後&介護&お金に困らない大百科』(プレジデント社)
《2013年》
『老後の100%安心ノート』(プレジデント社)
『新しい幸福論』(プレジデント社)
『ゆうゆう』(主婦の友社)10月号、11月号
『おはよう21』(中央法規出版)12月号
《2014年》
『健康365』(いちばん社) 1〜3月号
『東洋経済』(東洋経済新報社)5月17日号
『高齢者ホーム2015』(朝日新聞出版)
『おはよう21』(中央法規出版)10月号、12月号
《2015年》
『週刊エコノミスト』(毎日新聞社)1月27日号
『サンデー毎日』(毎日新聞社) 隔週連載 “上手にやりくり! 介護家計簿
『別冊宝島 介護のカラクリ』(宝島社)
《2016年》
『サンデー毎日』(毎日新聞社) 隔週連載 “上手にやりくり! 介護家計簿
『婦人公論』(中央公論新社)3月8日号
『終活読本 ソナエ』(産経新聞社)春号
『ゆうゆう』(主婦の友社)10月号
『婦人公論』(中央公論新社)10月11日号
《2017年》
『日経ヘルスケア』(日経BP社)1月10日号
『終活読本 ソナエ』(産経新聞社)冬号
『婦人公論』(中央公論新社)2月14日号
『日経ヘルスケア』(日経BP社)5月10日号
『終活読本 ソナエ』(産経新聞社)夏号
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「人はいつまで生きられるのか」
http://k330910.exblog.jp/25459184/
2016-07-18T00:41:00+09:00
2016-07-18T00:54:42+09:00
2016-07-18T00:41:24+09:00
k330910
LIFE STYLE
———この映画のテーマになっているのは、「人はいつまで生きられるのか」。私は何度かこれまでも、そのことを考えたことがある。
私はこの日に、交通事故に遭った。父が亡くなった翌年のことだった。
向かっては行けないとどこかで感じながらも、足はそちらへ向かっていたという不思議な感覚を覚えている。渋谷の東急本店へ向かう道に、かつてBOOKファーストのビルがあった。私はクライアントのところへ行く前に、そこへ立ち寄り、マクドナルドがあるところへ私は横切ろうとした。そこで減速したタクシーにひかれてしまう。
減速していたので大丈夫だと思いきや、立てなかった。左足があらぬ方向へ向いている。折れたなと思った。車が行き交う東急本店へ向かう道の真ん中で、私はそのまま横たわる。その姿で会社に電話をかけ、「今、私は交通事故に遭いました。クライアントのところへは行けません」と話した。事故に遭った本人がまさか電話をかけると思っていないのだろう。会社の人は、「???」という反応を見せた。それから私は救急車に乗せられ、恵比寿にある公立病院へ運ばれた。
その後、私は手術を受け、入院した。1ヶ月の入院生活は長く、時間が取れないから身体の不調なところを診ていただこうと思う。院内の歯科にかかりながら、ある科目を受けることになる。すると「女性なので、婦人科かもしれない。エコーで検査をしましょう」と言われる。すると婦人科の病気であることが判明し、良性か悪性かを調べてもらうために、MRIの検査を行ったのだ。そして2008年、私は別の病院で婦人科の手術を行った。
ちょうどこの頃、私と生年月日が全く同じ歌手が、亡くなっている。彼女が亡くなったのは、2007年5月27日。私は入院先の病院で、そのニュースを観た。彼女も婦人科の病気を抱えていたが、死因は事故だといわれている。
私と彼女は生年月日のみ合致するが、生まれた場所と時間だけは違う。今思うと、その僅かな違いだけで明暗を分けたのではないかと思うことがある。こんなに見事に重なるのは、恐ろしいことだが。それから人の運命は、ある程度決められたものがあるのではないかと、思うことがある。
2006〜2007年は、私にとってそれまでにないほど辛い時期であった。事故で死んでいてもおかしくなかったのかもしれない。ここで亡くなっていたら、出逢うこともなかった人がおり、人生も変わっていただろう。運良く生かされたのだと思い、今日に至る。]]>
私が思う、良い映画。
http://k330910.exblog.jp/25247639/
2016-05-20T22:36:00+09:00
2016-05-20T22:52:16+09:00
2016-05-20T22:36:32+09:00
k330910
映画/テレビ
試写を観て、足早に次の映画館へ向かっていた。駅に向かっている矢先、携帯に知らない番号が入る。出ると映画のDMをくださった方。試写の前に受付の方から「名刺をください」と言われるので、差し出した。その名刺を見て、電話をかけたのだという。そして「ご挨拶をしたいので」とおっしゃるので、こちらもご招待いただいたのだからと、試写室に戻って挨拶をさせていただくことにした。
私は何事も、忌憚のない意見を言うようにしている。人には礼儀正しくありたいが、媚びる必要はないと思っている。もちろん物事の良いところを見つけたいとは思うが、気づいたことを言うのが、本来の感想ではないだろうか。回りくどいことは言わない。今日も感じたままに、5分ほど映画について話をした。
私が良い映画だな、と思える条件が一つある。それは、“観客がよく見えている”監督の作品だ。観客は暗中模索の中、映画に入っていかなくてはならない。最初のうちは、注意も散漫だろう。そんな中、観客をいかに映画に引き込むか、またストーリーをどうやって理解させるか。それを上手く導くのが監督の腕だ。
“観客はここまで話の内容を理解しているだろう”。“登場人物の言動や感情を、観客はきっと把握してくれただろう”というところで、起承転結の〈承〉や〈転〉がやってくると、観客を引き込みやすい。しかしこれが上手くできる映画監督というのは、かなり少ない。いや、これができる監督は才能があるのだろう。
DMで招待してくださった方との話の中で、ある作品の話になった。私も才能があるなと感じた監督の作品だ。作品の冒頭に、思わぬ謎解きを観客に投げかける。とても意外性のある謎解きで、そこで観客を引き込む。その謎解きが気になって仕方がなく、観客自らストーリーを追うようになるのだ。そのフックがとにかく素晴らしい。どこに伏線があるのか、登場人物の些事さえも気になりはじめる。その監督が、ほくそ笑むのを感じるほどだった。
また映画終盤になって、やれやれストーリーはこれで収束するのかと思いきや、残り数分で思わぬ展開に持ち込む。驚いた。完全に観客は監督の手のひらで、踊らされてしまうのだ。私の大好きなドン・シーゲル監督が、これを得意とする。残り数分で、全く想像しない着地点をつくり、観客は見事に踊らされてしまう。監督はしてやったり、だろう。
映画というのは、監督の手のひらに踊らされるために行くのだと私は思っている。踊らされたいのだ。しかもできるだけ上手く。観客を上手く転がすために必要なのは、脚本と演技だろう。予算の大小は、そこには全く関係ない。むしろ低予算で踊らされたら、大変な才能だといえるだろう。私がATGを好きであるのも、低予算でありながら観客を上手く引き込み、話を上手く消化させていく。また着地点も意外性に富んでいることが多い。だから風化することなく、魅力に満ちているのだろう。
観客は作品を通し、かなり冷静に監督を見ている。観客が全く見えていない監督いうのも、作品を通じて感じている。とても怖い存在だ。]]>
円覚寺でお墓まいり。
http://k330910.exblog.jp/24029175/
2015-05-20T18:37:43+09:00
2015-05-20T18:37:37+09:00
2015-05-20T18:37:37+09:00
k330910
LIFE STYLE
まずは北鎌倉・円覚寺内の松嶺院に行き、田中絹代さんのお墓まいりをした。祖母の同級生が絹代さんだから、ときどき話をしたくなって行ってしまうのだ。前回はお酒をもって行ったが、今回はお花に。ところが水道のある場所がわからない。訪れていた70代くらいの女性に水道の場所をお聞きしたが、やはりわからず。それで松嶺院まで降りて行き、水を運んだ。するとその女性が水道の場所を見つけたらしく、私に教えてくれた。それを機に、彼女といろいろと世間話を。田中絹代さんの話はもちろん、絹代さんの自宅や行きつけの店、私の祖母の話まで(笑)。その後も彼女と同じくらいの女性二人が、私たちの話に加わり、絹代さんのお墓の前で世間話を。絹代さんが下関市と鎌倉市で分骨をしていることを、皆さんご存知だった。女性4人で絹代さんを偲んでいたから、きっと絹代さんも喜んでいるに違いない。
墓前の花器の水をきれいにし、新しい花を入れると、こちらの気持ちもすっきりするから不思議だ。
絹代さんと小林正樹監督は同じお墓。その裏手に佐田啓二さんのお墓がある。ほかにも松嶺院には、開高健さんのお墓や、坂本弁護士のお墓と手を合わせるだけでも大変だ。開高健さんはお酒がお好きなようで、墓前にはいつもお酒が並んでいる。
その後は、小津安二郎監督のお墓へ。小津安二郎監督のお墓は、いつもきれいな花がたむけられている。きっと多くのファンが訪れるからだろう。今日も古い花の一部を処分し、新しい花を加えた。墓前のおちょこに入った水をきれいにすると、こちらの気分まですっきり。個人的に掃除が好きだからかな(笑)。
小津安二郎監督のお墓の向かい側には、木下恵介監督のお墓が。木下恵介ドラマも私は大好きなので、ここを訪れるのはいつも楽しい。
ときには、故人と話をするのもいい。私はお墓まいりが好きだ。
その後、鎌倉で少し買い物をして、自宅へ帰る。
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建設業を立ち上げたのは、なぜか。
http://k330910.exblog.jp/23747022/
2015-03-05T19:55:00+09:00
2015-03-05T20:21:52+09:00
2015-03-05T19:54:51+09:00
k330910
大分
そんな大おじはテレビ局をつくるまで、建設業をやっていたと聞いている。気が荒いと言われていたせいか、建設業には向いていたと想像する。建設業をやっていた頃は大おじも若く、血気盛ん。しかも建設業で働く人々を束ねていたのだから、想像を絶するほど恐ろしかったに違いない(笑)。しかしなぜ建設業なのだろうと、ずっとわからずじまいだった。しかしその謎が、これを読んで何となくわかった。私を含め、うちの一家が大分市永興(りょうご)という地に生まれ育ったからであろう。
大分市永興という土地は、石屋が多かったのだという。確かに坂を登った小高い場所で、農業が潤沢にできる場所ではない。おそらくこの地に住む人は、石が豊富という資源を活かしていたんだと思う。確かに私の生まれた場所は、石垣を張り巡らせた家や神社仏閣が多い。しかも造園業や板金業をやっている人も多かったが、これも石屋が多かったため、それに関連する産業も栄えたのではないか。大おじはおそらく、そういう地元の方々の力を借りて建設業を立ち上げ、鉄道工事などもやっていたに違いない。
また、大分市永興という場所に欠かせない場所として、永興寺があるようだ。ここは私にとって、学校の帰りに寄り道をするところである。敢えてここを通らなくてもいいのだが(笑)、何となくこの場所が好きだった。また友人の家も近いため、通ることも多かったのである。ランドセルを背負いながら、通るたびにお寺の方や奥さんに「失礼します!」声をかける。奥さんは非常にいい方で、私たちが通ると「はい、どうぞ」と言ってくださっていた。またこの頃、永興寺にはグミの木があり、帰りがけに食べて帰る(笑)。私たちが食べていることを知っていたと思うが、叱られたことなど一度もない。地元の人々とのふれあいがそこにあった。楽しい想い出が詰まった場所である。
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“徳を積む”こと
http://k330910.exblog.jp/23731399/
2015-03-01T19:13:00+09:00
2015-03-01T20:31:49+09:00
2015-03-01T19:13:09+09:00
k330910
LIFE STYLE
父方の曾祖父や大伯父は地元で議員をしており、親分肌で気性が荒かった。身内は彼らに接するのも戦々恐々だったようだし、周囲の方々も大変だったと聞く。しかしそんな曾祖父も大伯父も、地元のために功を残している。市町村の発展のため、地元スポーツのため、マスコミのため…と枚挙にいとまがない。主に二人は、経済的な部分で支えていたようだ。二人のやってきたことを考えると、実にお粗末な限りで恥ずかしい。
Youtubeを観ると、2008年の国体で観ている大伯父と、若き日の柏手を打つ大伯父はまるで別人のように見える。私が知っているのは、柏手を打つ大伯父や、県体育協会会長の大伯父の姿だ。
人から頼られるというのは、悪いことではない。頼りになると思っているからこそ、人は相談をもちかけるのである。曾祖父も大伯父も親分肌で気性が荒かったというが、おそらく頼られたら断れなかったのではないか。そしてせっかくやるのだから、何とかよい形にしようと思っていたのではないだろうか。
私は、人生の折り返し地点に入っている。これから先、私にはいったい何ができるのだろう。少なくとも人様に対して、何もしないまま人生を終えるのは実に味気ない。曾祖父や大伯父のように人様に対して経済的な援助はできそうにないが、何か他の形でできることはないだろうか。
田中角栄さんがおっしゃっていた。「親の遺伝子より、子どもの遺伝子のほうが劣性遺伝になる。だからこそ子どもの世代は、よりいっそうの努力を強いられることになる」と。これは神が“放っておけば怠慢になりやすい”という〈性悪説〉を見越して、遺伝子に組み込んだものではないか。人間は実に精巧にできていることであるし、私にはそう思えてならない。]]>
本日行われている、〈修正鬼会〉。
http://k330910.exblog.jp/23716705/
2015-02-25T21:59:45+09:00
2015-02-25T21:59:24+09:00
2015-02-25T21:59:24+09:00
k330910
大分
〈修正鬼会〉は無病息災と五穀豊穣を祈るもので、鬼を追い払うのではなく、鬼を向かい入れるものだ。この鬼もご先祖様だと考えられており、私にとっては長岩屋で育った祖父や祖父のルーツを迎え入れるということになる。そういう意味では、非常に関わりの深い伝統行事だと感じている。
また本日は、旧暦の1月7日にあたる。この日を〈人日(じんじつ)〉と言い、文字通り人の日なのだという。人の日だからこそ、〈修正鬼会〉を行い、ご先祖様に感謝せよという考え方なのだろう。またこの行事の終盤に行われる、鬼の目餅まき。これを拾えば、良縁がもたらされるのだという。これも人日ならではなのかもしれない。
亡くなった祖父母や親戚を愛していたせいか、私はどこかで彼らに守られているような気がする。困難な出来事に遭遇したとしても、最悪の事態にはならないように思える。いささか能天気だろうか。
今日は、今は亡き人々のことを思い、床につきたい。]]>
「金主に金を返してあげるのが、我々の仕事」。
http://k330910.exblog.jp/23660997/
2015-02-11T19:43:00+09:00
2015-02-11T20:12:18+09:00
2015-02-11T19:42:59+09:00
k330910
映画/テレビ
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先日、日本映画専門チャンネルの『ある映画史〜長門裕之と津川雅彦の場合』を観た。この二人の役者に特別興味があったわけではないが、やはり家系といい経験といい、興味深い点が多い。
個人的な趣味だが、映画は最大手二社よりも、大映や松竹のような少し小さめの映画会社ほうが、作品に色が感じられておもしろく思う。どの業界もそうだが、オルタネイティブな存在はこうして生き残り策をたてていく。戦略をおもしろいと感じる私には、その二社が魅力的に映るのだ。特に松竹は家庭映画時代もおもしろいが、松竹ヌーベルバーグ時代が私は好きで好きでたまらない。
この二人は偶然にも、大映や松竹に所属。その時代の話がたっぷり聞けたのである。しかもちょうどその二社が過渡期にあたる頃、彼らは青年役者として活躍しているのだ。
まずは役者として先輩だった、兄の長門裕之さんの話になる。映画『次郎長三国志』(53年)をはじめ、順調に仕事をしていた。ところが弟の津川雅彦さんが、“映画出演はこれっきりだ”と決めて仕事をした映画『太陽の季節』(56年)に出演。これが当たってしまう。一躍人気若手俳優になった彼にたくさん仕事が舞い込み、兄の長門裕之さんはヘソを曲げる。そして所属していた大映を辞めると言い出すのだ。しかし長門裕之さんは親しみやすい人柄からか、大映のスタッフはそれに大反対。弟の津川雅彦さんに移籍してもらおうということになり、津川雅彦さんは松竹所属となる。そして彼は松竹で、木下恵介監督や渋谷実監督と仕事をすることになった。
当時、木下恵介監督の作品は破竹の勢いで、つくればすべて当たったのだという。しかも演出はほとんどせず、印象に残っているのは「台詞を言った後に、まばたきを二回してくれたらいいから」という言葉だけ。それで「どんな風にですか?」と津川雅彦さんが再び訊ねると、「ただ二回すればいい」ということしか言わない。確かにでき上がった作品を観ると、まばたきが良いと感じる。しかし残念ながら、学ぶことは実に少なかったと話す。一方、渋谷実監督は非常に細かい演出。第一声は「立ち姿が悪い」と。津川雅彦さんは叱られながらも、こと細かく彼の演出に応えようとする。それがとても勉強になったと話す。
その後、松竹ヌーベルバーグの時代がやってくる。津川雅彦さんは大島渚監督の『太陽の墓場』(60年)に出演。大島渚監督は役者をのらせるのがうまく、「この演技ができたら、長門裕之を超えるね」などと言ったのだという。その頃長門裕之さんは、『にあんちゃん』(59年)で、ブルーリボン主演男優賞を受賞。この一言で躍起になったと話す。
さらに津川雅彦さんは、木下恵介監督についていた吉田嘉重監督の『ろくでなし』(60年)で主演。この作品は川津祐介さんが主演と決まっていたが、津川雅彦さんが吉田嘉重監督に直談判して獲得したようだ。松竹はその頃、監督絶対主義で、監督がいいと言えば、キャストがすぐさま変わったのだという。
80年代に入ると、津川雅彦さんは東陽一監督の映画『マノン』(81年)でブルーリボン賞の助演男優賞を獲得。70年代は揮わず、落ち込んでいた時期だったが、この受賞でまた役者がおもしろくなる。東陽一監督の演出は“何もしなくていいから”ということだけだった。それで受賞。演じるということをあらためて考え、また不遇な時期こそチャンスもあると思えるようになったという。
そして津川雅彦さんが抜群の演出だという、伊丹十三監督。彼は数ある映画監督の中で、最高峰だと語る。映画『お葬式』(84年)でのリハーサルでは、「そこでブレス(呼吸)をしないで」という注意が入る。0コンマ数秒のことだが、そこにこだわることで、台詞の印象がずいぶん変わるからだという。つまりセリフは台詞ではなく、臓詞*(ぞうふ)にしてはじめて、監督に応えられる演技ができるということを学んだと語る。
さらに映画『スーパーの女』(96年)では、スタッフまで役者の演技を把握することを強いられたという。たとえば移動するカメラの呼吸と、役者の動きが一体にならなくてはならない。津川雅彦さんは社員を前に、その場をぐるりと廻りながら台詞を言う、3分ワンカットのシーンがある。それが彼の動きとカメラが見事に合致させるのだ。すると彼の台詞が不思議なほど、観客の腑に落ちてくる。これには驚かされた。
また津川雅彦さんは、叔父のマキノ雅弘監督の演出についても語る。たとえば高倉健さんの〈日本任侠伝シリーズ〉では、「お前の役は強いんだ。だから家に入って来て、いかにも強そうに台詞を言うのは強さが引き立たない。むしろ実に軽く言うことで、周囲の人々が慌てだすほうが、強さが滲み出る」と言っていたのだという。また泣きの演技でも、「無理して涙を出すより、声を裏返し、詰まりながら言うことで泣きが伝わる」と指導していたようだ。いわば〈引きの演技〉を求めてくるのだという。
その後、津川雅彦さんに、映画監督としてのオファーがやってきた。それで「マキノ姓を使わせてください」とマキノ雅弘監督にお願いする。するとマキノ雅弘監督は、「いいが、一つ条件がある」と言った。それは、「自分のお金で撮れ」という条件である。それですぐに〈マキノ雅彦〉と名乗ることができた。しかしこの企画は頓挫。
マキノ雅弘監督は、「監督になるということは、映画産業を支えなくてはならない。下手なことはできないんだ。失敗したら次はない。金主に金を返してあげるのが、我々の仕事」と話したのだという。
たった1時間程度の番組だが、役者人生が垣間見れておもしろい。また映画監督の個性も実に多様で、おもしろい番組だった。
*造語。おそらく腹の中まで台詞を飲み込ませるという意味だろう
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隣のアパートの人間模様。
http://k330910.exblog.jp/23649731/
2015-02-08T21:42:00+09:00
2015-02-09T11:04:15+09:00
2015-02-08T21:43:33+09:00
k330910
大分
その女の子は、両親と姉の4人家族。父は薬の販売の仕事をしていたようで、その子の家に行くとたくさんの薬が自宅に置いてあった。姉がいるせいか彼女は非常に活発で、いろんな遊びを知っている。しかも感情の表現が巧みで、長女の私よりはるかにマセていたのである。
小学校2年生のことだっただろうか。彼女がある日、私にこう言った。「お父さんとお母さんが離れて暮らすとなったら、美佐緒ちゃんはどっちについていく?」と。その質問は今も覚えているくらいだから、子どもながらにショックだったのだろう。「そんなことは考えたことがない。絶対いやだ。考えられない」。確か私は、そう答えたと思う。すると彼女は、「私はお母さん。お母さんに絶対ついていく」と答えた。その結論がすぐさま出せる彼女はすごいと思ったし、お父さんがそこまでイヤだったのかな…とも思った。
その後、彼女の家に行くと、彼女の父は常に家にいるようだった。子どもながらにおかしいな、と思ったのである。しかも、家から鼻を突くような臭いがしてくる。今思うと、彼女の父はアルコール中毒で、酒を飲んだ後の独特の尿の臭いだったのだと思う。それで彼女の両親は、離婚へ向けて話し合っていたようである。
それから1年もしないうちに、彼女の父だけアパートに残り、母と二人の娘は別府市に移っていった。彼女の父のアルコール中毒はいっそうひどくなり、フラフラと千鳥足で歩き、そのうち行方がわからなくなった。
それから3年ほど経った頃、旧実家を建てかえることになった。建築士はこのアパートをつくった方である。建て替える際には、私たち一家も借り住まいとして、このアパートの2階を使わせてもらった。また私たち一家が新居に移り住んでからは、若いカップルがこのアパートに住んでいた。同棲が流行っていた時代だったことも手伝って、すぐに入居者が決まったようである。カップルがカツンカツンと靴音を鳴らし、仕事に出かけ、夜になって抱き合って帰ってくる。その様子は2階の私の部屋の窓から、真正面に見えたのだった。
今思うと、このアパートでさまざまな人間模様を垣間見、そして幼いながら〈性〉というものを感じていた。大人の醜猥な部分も含め、静かに見つめていたように思う。
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祖父の生家あたりで行われている〈修正鬼会〉
http://k330910.exblog.jp/23591746/
2015-01-24T21:09:00+09:00
2015-01-25T11:08:37+09:00
2015-01-24T21:10:26+09:00
k330910
大分
それは結局神仏への信仰とは別のもので、自分に関わる人々に対する〈愛情〉なんだろう。まるで映画『水の声を聞く』の描いたテーマのようだが、自分たちのルーツを知ることで、人への〈愛情〉や〈思いやり〉が甦るような気もしている。
NHK『ファミリー・ヒストリー』もそうだろう。自分たちと接点のない第三者の家族のルーツの話だが、単にドキュメンタリーとしておもしろい。またあの番組を見て自分たちの家族や先祖を重ね合わせ、涙する人も多い。さらに番組の影響からか、ルーツだけでなく自分と関わる人への繋がりを、見直す人も増えているのだという。
昨年の正月、国東半島にある祖父母の家に行った。20年ぶり以上だろう。もう祖父母の家もないし、そこは他人の土地になっている。しかも上京している私にとっては、年に一度程度大分市内へ帰るのもやっとだ。そんな私だから、祖父母の家のあった場所など、一生行くことがなくてもおかしくはない。それが昨年に限って家族全員が正月に揃い、しかも母のルーツである場所へ行くという非常に珍しいことが起きた。またほかにもさまざまな理由があり、私は国東半島のことを考える時間が格段に増えた。それは私にとって、非常に愛すべく幸せな時間であったことは間違いない。正月の訪問は、これらの兆しだったのかもしれない。
また祖父の生家の近くにある天念寺という寺では、1200年前より〈修正鬼会〉という祭礼が行われている。〈修正鬼会〉は、国家安泰や無病息災、万民快楽を祈願する。そして先祖をお迎えしながら、ともに祈るのだ、ちなみに〈修正鬼会〉は、毎年旧暦の正月5日に開催。偶然にも昨年は私の生まれた日、2月6日に行われたようだ。こんな偶然は、もうしばらくはない。私が生きているうちは、巡ってこないかもしれない。
実はこの偶然を最近になって知り、非常に驚いた。これはご先祖さまが私に“2014年から新しく生まれ変わりなさい!” というメッセージなのか。それとも“2014年から生まれ変わったように、あなたの人生は変わるよ”というメッセージなのか。それとも“2014年から生まれ変わって、この地のことを考えなさい!”といメッセージなのか。何なのかはわからないが、昨年の偶然を厳粛に、そしてありがたく甘受したい。
しかし旧暦はいいなあ。自然の流れにまかせるせいか、年のはじめが読めない。また旧暦だから、月の満ち欠けに大いに関係がある。女性の身体には、合うのかもしれない。]]>
惨たらしい仕打ち。
http://k330910.exblog.jp/23542278/
2015-01-12T00:58:00+09:00
2015-09-28T22:06:24+09:00
2015-01-12T00:58:20+09:00
k330910
大分
ところが同じクラスの女生徒に、「あなたが学級委員なんて、私は認めないから!」と強く言われた。確かに当時の私は、人前に出るタイプではない。しかし彼女がなぜ、私にそんなことを言うのか皆目わからなかった。しかしあまりに強烈だったので、私には今も忘れられず、強く印象に残っている。
この一件に限らず、彼女の発言力は強く、たいがいの女生徒は彼女の言いなりになった。みんな内心は、どう思っていたのかはわからない。私は内向的ではあったが、単に言いなりになるのは嫌いで、彼女とは徹底的に距離を置いた。当時から、どこか頑固だったのだろう。彼女とは部活動もいっしょだったが、つるむことはなく、一人になっても決して彼女の機嫌をとることはなかった。
彼女は、年配の両親をもった末っ子。私は、20代の両親から生まれた長子。生活環境も家族構成もまるで違った。接点も少なかったのだろう。年長の兄弟からの影響がある彼女に比べると、弟たちしかいない私は物事の経験値も乏しかった。
その後、私は彼女とは違う高校へ進学した。彼女は私の父が卒業した高校へ進んだのだ。ときどき自転車やバスで、彼女の姿を見かけることはあったが、接点はほぼなくなった。
ある日、父のもとに高校の卒業者名簿が届いた。父と同じ高校に進学した友人も多いため、その後友人たちはどんな人生を送っているんだろうと、それをめくった。驚いたことに、彼女の名前が物故者の中にあった。当時、まだ彼女も私も20代だったと思う。信じられなかった。
その後、風の噂で彼女がどうして亡くなったかを知った。脳腫瘍におかされ、相貌も変わったと聞いた。20代の女性に対して、何とも惨たらしい仕打ちである。それを聞いた時に、ぞっとした。
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四方の山と星を見つめながら眠る。
http://k330910.exblog.jp/23440011/
2014-12-16T21:15:00+09:00
2015-01-07T17:25:20+09:00
2014-12-16T21:14:54+09:00
k330910
大分
父は陽気に冗談を交わしながら、リーダーシップもあるため、いわゆる〈人たらし〉だったのかもしれない。しかしそれは欺瞞に映らず、父の魅力に見えた。(*父は欠点も多い人だが、ここでは敢えて語らず、別の日に書くことにしよう)。
こういう環境に育ったせいか、私は父方も母方の親戚も愛している。〈親戚〉という言葉が甘美に響くのだ。おそらく私のような人間は、非常に珍しいに違いない。
私は未婚だが、もし伴侶ができたら、相手の家族を愛したいと願う。相手の家族の一員になりたいと思うほどだ。これは私が育った環境がそうだったからだろう。しかし平成の今の時代には、そぐわないかもしれない。単に夢を見ているだけなのかもしれない。
70年代の夏の日、私の家族と母方の祖父母で、祖父の一家の墓に参った。豊後高田市の長岩屋という、国東半島の中心部である。山に囲まれた地域でありながら、長岩屋川という小さな川が流れている。その川に落ちてきたように大きな岩がそこかしこにありながら、岩には仏像が掘られていた。人気のない淋しい地域でありながら、荘厳であった。祖父の一家の墓はこの地域を通った、窪地にある。国東の四方の山と星を見つめながら、祖父の一家は眠っているのだと、子どもながらに思ったものだ。]]>
『きらい・じゃないよ2』@ポレポレ東中野
http://k330910.exblog.jp/23408805/
2014-12-08T18:54:00+09:00
2014-12-08T18:58:03+09:00
2014-12-08T18:53:52+09:00
k330910
映画/テレビ
ちなみに『きらい・じゃないよ』のほうも観たかったが、諸事情で観られず。10代の頃、パンクに傾倒していた私は、遠藤ミチロウと戸川純のクレジットを観て、『きらい・じゃないよ2』は行こうと考えていた。それにしても、なんてツンデレなタイトルだろう。素直に「好き」と言えばいいのだが。言えたらいいのだが。
『きらい・じゃないよ2』は、92年の作品。モノクロだ。映画の中に、ジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のポスターが出てくる。彼の映画の影響からか、80年代半ば前後〜90年代初頭はモノクロ映画が日本でトレンドとなる。こうした流れからか、『闇のカーニバル』や『鉄男』なども生まれ、海外でも話題になる。その流れの一端に、『きらい・じゃないよ』や『きらい・じゃないよ2』もあったのかもしれない。この頃、成人を迎えた私は、新旧問わずモノクロ映画に傾倒した。イタリアのネオリアリズモや、フランスのヌーベルバーグ、50〜60年代の日本映画とリアルタイムの自主映画を貪るように観た。
最近はモノクロ映画を嫌う人も多いというが、私はモノクロ映画のほうが、魅力を感じる。モノクロのコントラストに演出家の意図を感じるし、また観客が自由に色づけすることもできる。その両方を楽しめるからだ。
余談はさておき。『きらい・じゃないよ2』には特段、ストーリーとおぼしきものはない。〈百年まち〉というところに男女がたどり着いたというだけで、あとはどこまでが脚本に書いてあるのか、アドリブなのかがわからない。監督・内田栄一はどこまで演出をしていたのかが、気になるところだ。また四国が舞台のせいか、うどん屋が登場する。野外のセックスのシーンでは、水車の合間からのアングルで二人を撮り、行為がはじまると水車がまわる映像だけを撮る。あのシーンは性行為を象徴していて“上手いなあ”と感心した。
それにしても内田栄一は、なぜ〈妹〉をテーマにするのだろうか。また、なぜ『妹』も『きらい・じゃないよ2』も〈ねり〉なのか。〈ねり〉という奇妙な名前になぜこだわるのか。謎は尽きない。
『きらい・じゃないよ2』の主人公を務めた伊藤猛さん、そして彼の相手役を務めた伊藤清美さん。ともに伊藤姓だ。ちなみに父方の祖父母が離婚していなければ、祖母の旧姓である工藤姓を名乗らず、父も家族も私自身も伊藤姓だったはずだ。古い戸籍を見ると、父方の祖父はその後2回結婚しており、子どもがいる。つまり父には異母妹弟がおり、どうやら現在50代のようだ。もちろんお二人とは何の関係もないと思うが、50代の伊藤さんというと、父の異母妹弟を思う。いったいどこで暮らし、どんな人なのだろうか。]]>
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