池袋の新文芸坐で、藤田敏八監督(以下、パキさん)の映画『非行少年 若者の砦』(70年)を観た。メッセージ性の強い青春映画の大傑作であった。
藤田敏八、相米慎二、真利子哲也。この三人は、同系譜だと思う。 青春は「唐突」なものだと、教えてくれる作家たち。中でもパキさんは、先駆的な存在だといえよう。ただ唐突であっても、パキさんはカットやショットで上手く心情を表すのも得意だ。セリフやナレーションで説明するようなこともなく、またシーンにするほど長引かせない。そこが彼の良さだ。しかも直接的な表現ではなく、観客にちょっと考えさせるようなもの。さらりとしていて、粋なのだ。これはきっと、彼の美学なのだろう。
『非行少年 若者の砦』は、ある少年が職員室を開け、一人の教師の手の甲にナイフを刺すところからはじまる。真紅の血が溢れる中、題字が現れる。少年はこの一件だけではなく、この少年は酌量の余地のない、悪行・怪行ばかりを起こし続ける。それで手に余った母が、前科者の家庭教師を雇うのだ。
この家庭教師は、あろうことか彼の行動を一切否定しない。前科者でもあるし、説教をするのはお門違いだと思っているのかもしれない。二人の間柄は馴れ合うこともないが、ぶつかることもない。どこか通じ合っているのだと、そこはかとなく感じさせるだけにとどまる。盗み撮りをする男が市議会議員で、彼を墓に縛りつけたり。また盗み撮りをしたことを、権力を持って葬り去ろうとすることが許せず、暴力を振るったり。あるいは母の出生を侮辱したことが、許せなかったり。この少年は、世の不正を血祭りに上げている一面もあるせいか、次第に観客まで、この少年が可愛く見えてしまうのだ。パキさんはこの少年に、さまざまな怒りを託したかったのだろう。
ある日、少年の母が交通事故で亡くなる。彼は泣こうともせず、パッと騒ごうと少年は言う。白壁の病院の屋上で。たくさんの白いシーツが揺れる中、前科者の家庭教師は、実家の手伝いの姿で現れる。白い作業服だ。死を表す鯨幕の「黒」や喪服の「黒」は、一切現れない。「黒」といえば「白」と言いそうな彼らの反逆的な姿勢も、色彩から感じられる。また世の不正が許せない彼らは、実はピュアだと暗に伝えているのかもしれない。
結局、この少年は警察に捕まってしまう。家庭教師を同志と思っているのか、この少年は腹の内を彼だけに見せる。ところが家庭教師は「お前は親もなく、助けてくれる人はない。ここを出れば社会も冷たい」という厳しい現実を伝える。それは、家庭教師からのささやかな愛情にも感じられる。そして家庭教師が警察署から外に出ると、ラジオからよど号ハイジャック事件のニュースが流れてくる。これがこの映画のエピローグだ。
聞くところによると、よど号事件が1970年3月31日に起き、この映画の公開は70年4月4日という話だ。中3日しか空いていない。初号試写の直前、最後のダビングで無理矢理突っ込んだ音だというウワサも。そこにも、私は深く打たれてしまった。
本作に限らず、パキさんの映画はエピローグが素敵だ。これは60~70年代のアメリカ映画の影響だろうか。映画『スローなブギにしてくれ』も若い男とヨリを戻し、めでたしめでたしと思いきや、次のシーンで別の中年男と自殺を図るという結末で終わる。その唐突さも、強烈な若さの姿に思える。ここ最近の映画のエピローグは全く覚えていないが、パキさんの映画はどれもエピローグに強烈な印象を残す。
映画は、やはりエピローグだ。エピローグがつまらない映画に、傑作はないと個人的に思っている。