堀内誠一氏アートディレクションの雑誌。 |
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WBCの熱気で、町中の電気屋のテレビの前に多くの人が群がっていた。まるで昭和30年代の風景のよう(笑)。しかしイチローはここぞというときに、強い。あれがスーパースターの条件なのだろう。ただ今回の一件で、イチローがスロースターターだということがわかった。私もスタートが遅いほうなので、開幕の頃の彼の気持ちが少しだけわかるような気がした。
WBCが盛り上がりすぎていたせいか、私の母校の甲子園出場は友人たちの間でも全く話題にのぼらなかった(苦笑)。かおりちゃんからメールが入るまで、私もすっかり忘れていたのだ。相手が箕島高校ということもあって、大差で負けなければいいと思っていたくらいだった。結果は7−3。強豪を相手によく頑張ったと思う。次に我が高校が出場するのは、また60年後か?残念ながら、私は生きてはいないだろう。
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今日はある小さな出版社に足を運んだ。昭和の古い映像を持っている映画会社を吸収合併したようで、そのなかから選りすぐった映像をいくつかDVDでリリースしている。仕事のご協力を願おうと参じたのだが、ほとんど昭和映像の話ばかりしていたような気がする(笑)。
出版社の方の話を聞いているとまだまだ秘蔵映像はたっぷりあるようで、観たくてたまらなくなってしまった。お話ししてくださった彼は東京の方で、両親ともに江戸っ子ということもあって、昔の東京について本当に詳しい。彼に言わせると70年代からの東京はあくまでも再建築であって、原型は大して変わっていないとのこと。70年代の映像を観ると撮影した場所が一目でどことわかってしまう、と私もここでいつも書いているが、やはり変わっていないのが事実なのだろう。
その方とはフィルム撮影の話で盛り上がってしまった。やはり影は、フィルムでしか撮れない。あの風合いがなんとも言えない魅力なのだ。また映画業界のしがらみの多い話も耳にした。昔のように一社のスポンサーで映画なんてつくれないだけでなく、保険会社や放送局が当たり前のように絡むため、どうしても制約が多くなってしまうのだという。まあこういうことはわかってはいたのだけれど、“そんなところにまで!”というような事実を聞かされてしまい、驚いてしまった。今の時代、映画がおもしろくないのは、仕方がないことなのかもしれない。
帰りは中野ブロードウェイに立ち寄った。私に中野ブロードウェイなんて、猫にかつおぶしのようなものだ。昭和の歌謡曲のシングルをいくつか買い、まんだらけで古本を観た。私の大好きな70年代の本はやはり高い。堀内誠一ディレクション時代のものが特に高値で、驚いた。ananの創刊号なんて、8,000円(!)もする。こういうところで相場を知って、安いところを探して購入しようといつも思う。だからマニアが集まりそうな店では、決して財布のひもは緩まない(笑)。
確かに、堀内誠一氏時代の雑誌はおもしろい。とにかくかっこいいのだ。『BRUTUS』の創刊号は我が家にもあるが、かなり社会派の雑誌なので、今とは趣が異なる。平凡パンチなんて、今読んでもかなりおもしろいし。一言で言えば、“本が躍動している”感じなのだ。特に写真やデザインが素晴らしいのだが、著作権の関係もあってここで公開できないのが残念でたまらない。写真家も立木義浩さんや十文字美信さん、沢渡朔さんなど錚々たるメンツが撮っていて、今観ても傑作だと思えるものばかりだ。
編集者は『雑誌づくりの決定的瞬間 堀内誠一の仕事』(マガジンハウス)という本を読むといいかもしれない。かくいう私も未読なのだが(笑)、堀内誠一氏時代の雑誌を集めているので彼の言わんとすることがなんとなくわかる気がして、手をつけていない。機会があったら読んでみよう。
■『BRUTUS』の創刊号。今見ると、とてもハードボイルドな内容。
■表紙のジェーン・フォースのヘアスタイルが素敵!