“徳を積む”こと |
父方の曾祖父や大伯父は地元で議員をしており、親分肌で気性が荒かった。身内は彼らに接するのも戦々恐々だったようだし、周囲の方々も大変だったと聞く。しかしそんな曾祖父も大伯父も、地元のために功を残している。市町村の発展のため、地元スポーツのため、マスコミのため…と枚挙にいとまがない。主に二人は、経済的な部分で支えていたようだ。二人のやってきたことを考えると、実にお粗末な限りで恥ずかしい。
Youtubeを観ると、2008年の国体で観ている大伯父と、若き日の柏手を打つ大伯父はまるで別人のように見える。私が知っているのは、柏手を打つ大伯父や、県体育協会会長の大伯父の姿だ。
人から頼られるというのは、悪いことではない。頼りになると思っているからこそ、人は相談をもちかけるのである。曾祖父も大伯父も親分肌で気性が荒かったというが、おそらく頼られたら断れなかったのではないか。そしてせっかくやるのだから、何とかよい形にしようと思っていたのではないだろうか。
私は、人生の折り返し地点に入っている。これから先、私にはいったい何ができるのだろう。少なくとも人様に対して、何もしないまま人生を終えるのは実に味気ない。曾祖父や大伯父のように人様に対して経済的な援助はできそうにないが、何か他の形でできることはないだろうか。
田中角栄さんがおっしゃっていた。「親の遺伝子より、子どもの遺伝子のほうが劣性遺伝になる。だからこそ子どもの世代は、よりいっそうの努力を強いられることになる」と。これは神が“放っておけば怠慢になりやすい”という〈性悪説〉を見越して、遺伝子に組み込んだものではないか。人間は実に精巧にできていることであるし、私にはそう思えてならない。