〈乱れる〉ということば。 |
Aさんはapple社に務めていた方で、会社を経営されている。彼は大学時代音響の勉強もしていたこともあって、音楽にも詳しい。彼と少し話しただけで、フィーリングが合うなあと感じた。彼は〈遊び〉を仕事にしてきた方でもあるので、経営者といえども堅物ではない。人当たりも柔らかく、紳士的な方だ。
そんな彼のもとで私は仕事をさせていただいたのだが、2年前に彼とは仕事をすることがなくなった。仕事上でもめた訳ではないのだが、私のほうから仕事をすることを辞めたのである。偶然にもその後、彼と渋谷の歩道橋の上で出会ったことがあった。そのとき私はmacを抱いて走っていたのだが、その様子を見て彼は満面の笑みを浮かべていた。そして彼は「いっしょに音楽でもやろう!」と言ったのである。
そのことばがなぜか強烈に残っていた。私のほうから仕事を辞めたにも関わらず、彼は愚痴一つ文句一つ口にせず、「いっしょに音楽でもやろう!」と言う。彼の懐の大きさと、やさしさがひしひしと伝わってきた。
そのAさんと久々に話をした。うれしかった。こんなにジンときたのも、最近にはないことだ。
#
掲示板にこちらの方が書き込みをしてくれた。彼女はどうやら、にっかつロマンポルノに興味があるらしい。私はにっかつロマンポルノをそれほど観ていないのだが、70年代というとやはりにっかつロマンポルノが欠かせない。淫靡な感じが魅力なんだと思う。
にっかつロマンポルノをはじめとする70年代のエロものには、なぜか〈乱れる〉ということばを使うように思う。今はsexをするときに〈乱れる〉なんてことばを使うことはない。完全に死語である。むしろ〈乱れる〉ということばにsexを感じる人など、今はいないと思う。
藤田敏八監督の『妹』でも主人公の林隆三さんが引っ越し屋のバイトとして、ひし美ゆり子さんの部屋に行くシーンだったと思う。彼女はsexを引き換えに、引っ越し代をタダにしてもらおうと試みる。そのときも「今日は乱れちゃおうかな。ううん、乱れたいの」などと言う。70年代のファッションは今とかぶることも多いせいか時代を全く感じさせなかったのだが、そのひとことで我に返ったことがあった。〈乱れる〉ということばは妙に艶かしく、私には70年代を感じさせたのだ。
思えば艶っぽさというのが、現代は失われているような気がする。いや、かくいう私自身もそうかもしれない(笑)。機会があったら私も〈乱れる〉ってことばを使ってみようかな。ひし美ゆり子さんばりのセクシーさで(笑)。